木平 勇吉 東京農工大学名誉教授 丹沢大山自然再生委員会委員長
皆さん、こんにちは。私は丹沢の生態系の現状、それから、それに今どう対処しようとしているかという要点をお話しし、問題提起とさせていただきます。私の身分は、東京農工大学名誉教授、これは名ばかりの名誉教授であって何もやっていませんが、丹沢大山自然再生委員会の委員長をやっています。これは行政、企業、マスコミ、研究者、NPOなど県民総がかりでつくられた組織であり、これからの新しい協働的な組織として非常に期待しています。
今、目の前にある森林というものは過去の私たちの地域社会の行動によって決まるものだと思います。そして現在の私たちの営みが未来の森林を造るものだと思います。ということで、森林は歴史の所産であると申し上げます。従って、現在の問題を見るためには、過去、その地域の森林あるいは環境がどのように扱われたか、守られたかという概略を知ることが非常に重要だと思います。丹沢というのは原生林で非常に魅力的な所だと思われる方もおられますが、私は単純に大体1000m以下の所を里山といい、それ以上のことを奥山といいます。もちろん里山の方が圧倒的に人間の営みが入っていて生活に近いわけですが、現在は奥山の方にもいろいろな問題が生じています。今言ったように、森林の姿というのは私たちがどうかかわったかという過去のものの集積なのですが、この神奈川県あるいは丹沢に生えている樹木は大体30年から40年生、皆さんの年齢よりも少し若いくらいのものが多いのです。せいぜい40年から50年、60年のものが主に里山にはあります。従って、その過去を見るのであれば、せいぜい40年から50年、長くても80年、100年を見れば、どうやって現在になってきたかということがよく分かるのではないかと思います。
ということで、まず戦前、といっても一括して1920年以前では、特に丹沢の里山は、圧倒的に薪炭の供給地として使われてきました(図表1)。そこは生活の場であり、日々の炭・薪、それから農業用の肥料の落ち葉の供給地ということで非常に生活に密接にかかわっていたのですが、非常に利用が激しくて森林の内容は乏しく、いわゆるはげ山状態あるいは貧しい森林であったと思います。かつての古い時代の丹沢は図表2のような雑木林で、これが里山の実際の姿です。クリやクヌギ、コナラなどが薪炭として、人間が育てたというもので、一般には非常に細く若いものであったと思われます。
すなわち、周りは全部かつての薪炭材の雑木林です。その中にある緑色が、スギ・ヒノキの人工林です。これは現在の写真ですから、もう30年40年たっていますが、このような状態ができたわけです。そして1960年代には高度成長が始まり、都市化が始まります。そして人工林が拡大し、林業が盛んな時代が続きます。
しかし、やがて林業が衰え、そして森林への関心がなくなっていきます。それまで地域にあった薪炭林から、災害があり、それから植林がされ、やがてその植林地が放棄されるという歴史の中で、丹沢の生態系にいろいろな面で異変が起こってきました。これは1980年代からじわじわと始まり、現在はそれのピークといいますか、それがいろいろなところで顕在化しています。
情緒的な言葉なのですが、現在の丹沢では「老木は枯れ」、非常に大きな木は枯れています。それからシカがたくさんいて、みんな飢えています。登山道は雑踏していますし、人工林は放置されています。そして集落は非常に寂れています(図表5)。ブナは丹沢を代表する、尾瀬筋にある皆のあこがれる木です。これまで150年以上生きていたものが、この15〜20年ぐらいの間にどんどん衰弱し、あるものは枯れ、そして倒れています。図表6はブナ枯れの姿です。