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丹沢ジャーナル

2012年5月「森林レクリエーション」NO.230掲載
ニュージーランドの里山散策(後編)
木平勇吉 子ども樹木博士認定活動推進協議会会長
東京農工大学名誉教授・丹沢大山自然再生委員会委員長
 ニュージーランドにもさまざまな姿の里山があり大切に保護されています。私はこの国にしばらく滞在して、多くのコースを訪れてみました。それらの里山の印象を前号につづいて紹介します。

オラケイ・コラコ(インターネットでは「Orakei Korako」で参照できます。以下同じです)
ここはロトルアに近い湖水地域にあり、温泉が湧き出して作くられた「テラス」(湯の石灰質が固まり長い間に形づくった段々畑のような地形)が有名です。湖の対岸から渡し船を使い5分ほどで着きます。そこから歩道がテラスや温泉池に沿って作られて、道案内の標識に沿って静かな散策路が延々と続きます。観光パンフレットにも宣伝される比較的名前の知られたところですが、観光バスはなく自家用車で来る家族づれだけで大変に静かな所です。テラスは数千年の時間を経て山の谷間に作られた「棚田」であり、自然の見事な芸術作品です。近くの湖には「ピンク・テラス」と「ホワイト・テラス」と呼ばれ世界七不思議の景観がありましたが1886年にタラウエア火山の大噴火により完全に破壊されて地上から消えました。ここはその世界七不思議のミニ版です。自然林に囲まれ山から流れ落ちる白い棚田はなかなかの風景です。火山と森と湖の国を代表する景観地です。しかし、観光地の喧騒や乱雑な看板はなく自然がよく保護されています。渡し船で戻り、ひっそりとたたずむ小さな喫茶室で紅茶とミートパイで楽しむ家族づれの姿はニュージーランドの里山散策の楽しいひとコマです。ニュージーランダーは夫婦で子どもを連れてよく遊びます。家族中心の暮らしには里山散策は適しています。日本でも家族で森へ行く機会が増えてほしいものです。

あざやかな白や黄色で彩られた「テラス」と「木シダ」の緑が組み合わさった 静かな景色の中の散歩は気持ちが安らぎます。テラスのあちこちからは 熱い温泉が流れており、手をつけることが出来ます。宿には温泉が引かれて 日本人には嬉しい国です。

1886年のタラウエラ火山の大爆発により地上から姿を消した「ピンク・テラス」は、今は美術館に絵として残されています。 本当に惜しい自然の傑作でした。テラスの下部にマオリとカヌーが描かれているのでテラスの大きさが想像できます。(絵はインターネットから引用)
マンガヌイの丘(Mt.Manganui)
日本への木材輸出で有名なタウランガ港につながる海岸リゾート地でヨットや別荘が連なる静かな小さな町はマウント・マンガヌイと呼ばれています。海辺の先端には雑木林に覆われた小高い丘があります。麓は牧場で牛が遊んでいますが中腹以上は自然林です。海風に曝される樹木は背が低く頂上は眺望のよいところです。丘を巡る散策路があり、リゾートに滞在する家族やキャンプ場に遊ぶ若いグループが身軽にサンダルを履いて登っていきます。頂上まで1時間ですが私はかなり汗をかきました。そこからは海と町と森が見渡せる絶景で、里山の様子もよくわかります。売店などの施設はなく案内標識も望遠鏡も置いてありません。牧場から吹き上げる風は海の香りを運んできます。何もない散歩道ですが気持ちの良い丘です。 蛇足ですが、まわりの別荘は美しく大きく羨ましいかぎりです。ニュージーランダーの大半は庭つきの大きな家に住みヨットやモーターボートを持ち、週末は美しい海で遊んでいます。「残業」などはありません。これに対し、私たちは小さな家に住み、夜遅くまで仕事に追われ疲れています。なんと不公平なことでしょうか。
丘の頂上からの眺め。透きとおる海の色が印象的です。大きな樹木は 古いラジアータ松で、太い枝が多くあり良い木材にはなりません。
これを品種改良して、「儲かる林業」の研究のために筆者はこの国で働いていました。
原生林が伐採された跡に自然に再生した雑木林の姿です。
椰子の木に似た「木シダ」が特徴的で南国の雰囲気が感じられます。
この国に好感を持つ人が多いのも木シダの葉の形と大きさお陰です。
これをモデルにした着物の模様や木彫はマオリの象徴で大変に印象的です。 しかし、この国は海洋性の温帯で日本と同じ緯度(南緯)に位置して、 四季があり穏やかな土地です。
イーストウッド植物園(Eastwoodhill Arboretum)
この国の土地はかってはすべて森林で覆われていましたが、1840年以降のヨーロッパからの移民により、多くの土地が牧場に変わり世界的な畜産国となりました。今は、牧場からヒツジは消えかけています。羊毛不況で牧場経営は放棄されて、その後にラジアータ・パインの植林地が増えて、林業投資が盛んです。このイーストウッド植物園は植林地に隣接する園地で、ギスボン市内からかなり離れた山の中にある市立植物園です。よく管理され樹木と草花があふれています。私は偶然にここを訪れました。そして訝りました。あまり訪問客がいないのに、ギスボン市はどのようなつもりで多くの管理人を雇い、多くの費用をかけて立派に維持しているのかと。日本の公園管理の貧しさに私の感覚は染まっていたようです。ニュージーランド人は庭や公園や森林を大切にします。自然を大切にして生活を楽しむこの国の人びとの考え方は身についた伝統だと感じられます。職場中心の私の暮らし方は反省させられます。しかし、なかなか改まりません。収入や経済力とは無関係のようです。私は偶然に人の少ない植物園を訪れて美しい園地の散歩ができました。わずかの入園料を払いましたがそれよりずっと価値のある時間を過ごすことが出来ました。東京の「ツリータワー」とこの植物園の無名のツリーとは比較できませんが大切に手入れされています。
手入れの行き届いたギスボン市植物園です。どこから管理費が出るのかと 情けない心配をしてしまいました。この国にも大幅な消費税(good and service tax)が導入されましたが、 その代わりに所得税が大幅に減りました。そして福祉国家として発展しています。
ニュージーランドのトレードマークであった牧場とヒツジは 姿を消しつつあり、その跡にラジアータ松が植林されています。 黒ぐろとした部分が人工林で、生育は世界で最も早い樹種で すが「モノカルチャー」と悪く言う人もあります。しかし、 輸出産業として成功し、林業・林産業は国の基幹 産業となり多くの人が働いています。天然林は環境保護に、 人工林は木材生産のためにと割り切っている国です。
噴煙がたなびくホワイト・アイランド(White Island)
ここは里山とは違い、激しく噴煙を噴き上げる海上の火山です。ワカタネ市から船で2時間弱の距離にあり、島では活発な火山活動が続いており、名前のとおり海上の白い無人島です。船は岸に着けないのでゴムボートに分乗して上陸します。ヘルメットを被りガスマスクをつけます。今は無人島ですが、かつては硫黄を採取していた作業場の廃墟が無残な姿を曝しています。上陸すると小グループに分かれガイドが案内します。足元の硫気孔からは黄色いガスが噴出し、風向きが変わると私たちを襲います。吸い込むとかなり息苦しいです。この原始的な岩だらけの火口の中で約2時間を過ごし、島の緑の崖に営巣する海鳥を見ながら船に戻りました。私はこの荒荒しい自然を実体験できました。自分の判断と責任で危険に近づけました。過剰な保護に気を使い他人に責任を転嫁するばかりでは野外レクリエーションは面白みがなくなります。この島は個人の所有で、訪問も船会社の企画です。自己責任を考える機会でした。ただし、参加費を払うときに一枚の英文の紙にサインが求められます。「すべての責任は本人」と書いてありました。
ガスマスクをつけた筆者。あたりは硫黄とガスで地球のちからが感じられる島です。
海上に生まれた火山島で、名前のとおりホワイト・アイランドです。
自己責任社会の雰囲気が実感できました。
おわりに。
ニュージーランドの里山について前号と合わせて8箇所を紹介しました。里山散策の良さは普段のままの、普通の自然をゆっくりと見つめたり、地域の人々の普段の素顔を見たり、日頃の暮らしに気づくことです。ガイド付きパック旅行は有名な観光地をおとずれて素晴らしい景観を見て、利用する施設もサービスも一流ですが、それは化粧されたものの表面を正装して見るような観光になりがちです。これに対し、里山散策は普段着のままで、下駄履きの気持ちでやれます。決まったパターンはなく気ままに好きなように時間を費やせます。体も気持ちも疲れません。このような気ままが許されるのが里山散策のよいところです。 このことは国内の里山散策にも共通するところがあります。裏山の散歩では時間がゆっくりしているので何気ない道端の草や畑の作物にも目が向きます。農家の庭先の様子も知ることが出来、寂しい集落にも心が和む風物があることに気づきます。ガイドからの説明ではなく自分の力で、自分の時間を費やし、自分の好きなことを楽しむことが出来ます。このように里山散策は一人ひとりが自由に自然と触れる時間です。
今回のニュージーランドの里山で感じたことは「自然がありのまま」に守られて、無駄な人手が入っていないことです。そして、責任とマナーが大切にされています。この素朴な旅行は、私が以前に住んでいた国の再訪問で懐かしくもあり、また新しい発見もあり豊かな時間になりました。気ままな日程で好きなところで泊まり気に入った景色を眺めて過ごす機会をこれからも持ちたいものです。


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