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丹沢ジャーナル

2011年11月「里山創生〜神奈川・横浜の挑戦〜」(佐土原聡ほか編著、創森社出版)掲載
シカ管理と森林整備の一体化
山根 正伸  自然環境保全センター研究連携課
<解説>
佐土原聡(横浜国立大学教授)の編集による「里山創生」が創森社から出版されました。「神奈川・横浜の挑戦者」と副題が付けられています。そこでは丹沢のシカと森林管理について神奈川県自然環境保全センターの山根正伸氏が報告しています。

はじめに
丹沢山地は都心からわずか50kmしか離れていないが、ブナやモミの天然林、ニホンカモシカやツキノワグマなどの大型野生動物、多くの滝がある深い渓谷など、豊かな自然がまだ多く残されている。ニホンジカ(以下「シカ」と呼ぶ)はその象徴として、過去半世紀以上のあいだ保護管理に大きな関心が寄せられてきた。シカは、現在丹沢を主な生息地としているが、江戸時代には横浜や小田原など平地に広く生息していた。明治期以降は平地の開発により丹沢山地に閉じこめられ、第二次大戦後は、乱獲、林業など人間活動の影響を強く受けて次第に害獣化し、さまざまに対策が講じられてきた。
丹沢における生態系保全・再生の要点である「シカ管理と森林整備の一体化」に焦点をあて、シカ過密化と森林生態系の荒廃が生じた経緯と原因、対策について述べる。

シカ過密化の経緯と原因
丹沢は、これまで3度のシカ問題を経験してきた。まず、戦後まもなくの乱獲による丹沢に住むシカの絶滅の危機である。これを契機にシカ狩猟を当面のあいだ禁止する政策が講じられ問題は一応の解決をみた。
2度目は、1970年代に禁猟が功を奏しシカの数が回復していったことと、拡大造林が活発化したことが重なって発生した激しい林業被害である。これに対して神奈川県は猟区と鳥獣保護区を設定し、あわせて新植造林地では全額公費により鹿柵を周囲に設置するなどの対策によりシカとの共存を図った。この結果、シカによる林業被害は大幅に減少した。
しかし、その後20年余り経た20世紀末となって、シカが過密化するようになり自然生態系に強い影響を与えて森林生態系を劣化させる3度目のシカ問題が生じた。特に以前は雪が深くシカの生息には適さなかった高標高域にある自然林で、シカが定着して次第に密度が増加していったのである。
2001年の調査では丹沢のシカの数は2400から4200頭と推定されているが、高密度化している場所は東丹沢の標高1200m以上の鳥獣保護区に主に集中している(図1)。この結果、林床植生、特にスズタケの衰退が進行した。林床植生消失とシカ密度との関係を見ると、東丹沢では、ほとんどすべてが消失してしまい、植生被度が低下した場所はさらに丹沢の中央部から西部にかけても拡大し、被度が5割を越える場所は西丹沢の主稜線部に限られていることがわかった。一方、植生の退行とシカの過密化は、鳥獣保護区に暮らすシカの栄養状態の低下も招いており(写真1)、貴重な自然生態系とシカ個体群が共倒れしてしまうおそれが生じた。
このようなシカ問題は、@1960年代から70年代にかけてのシカ保護と拡大造林により食物条件が良好化したこと、Aその後は防鹿柵が設置され植林木も成長したために食物条件が悪化に転じたこと、Bシカが環境に適応する能力が優れ1980年代以降は温暖・少雪化が進んで越冬地が高標高地化したこと、そして、Cシカの生態に関する知識が不十分であったため、見通しを誤って合理的な保護管理がとられなかったことなど、に起因している。
このため、問題の解決にはシカを増やさない予防的なシカ管理と人工林管理の重要性が認識されるようになった。また、自然が予測不能であり、シカ管理に決め手となる技術が確立していないことを前提として、シカが増加する兆しがあれば迅速に原因を解明して対策を講じる科学的で順応的な保護管理システムの導入が必要となってきた。

シカ保護管理の転換
神奈川県は、鳥獣保護管理計画制度による第一次保護管理計画を2003年度に策定し、政策転換を図った。この計画では、従来の規制中心であったシカ保護管理に、計画的にシカの数を調整する対策を加えた。また、科学的な調査とモニタリングに基づいて、森林整備を通じた生息環境改善、被害防除も実施する順応的なシカ保護管理を展開することとした。目標には、シカ生息地域の生物多様性の保全と再生、地域個体群の維持、農林業被害の軽減を掲げた。
シカの生息数は、2006年度までの計画期間中に1500頭を下限として、シカの過密化を解消し下層植生が回復するレベルまで低下させることを目指している。特に、植生の劣化が進む高標高域の自然林ではシカを大幅に減らすために県予算による管理捕獲事業を盛り込んだ。また、丹沢は農耕地や住宅地が山麓部に迫っているため、そこを被害管理区域として、農業被害やシカの分布拡大を抑えるための広域獣害防止柵の設置などの対策を組み込んだ。

生態系劣化の拡大とシカ管理の強化
第一次保護管理計画に基づく事業は一定の成果をあげたが、シカ過密化による自然林生態系への影響の深刻化に歯止めをかけるに至らなかった。特に問題視されたのは、水源地域としても重要視されている丹沢の自然林の一部で土壌流出が深刻化していることである。シカの採食が続いて林床植生がほとんどなくなった場所では、年間4mmから9mmもの厚さの表層土壌が流出している。このことは、シカ過密化の影響が、植生や生物相に強く及んでいるだけでなく、生態系の基盤をなす土壌保全機能が損なわれるほどに深刻化していることを意味している。
2004年から2006年にかけて行われた丹沢大山総合調査では、シカ過密化と生態系への影響について集中的で多角的な調査研究が行われ、丹沢全域でのシカ管理強化に加えて、人工林の整備など他の対策と効果的に組み合わせるシカ保護管理の必要性が示された。
これを受けて、2007年に示された第二次保護管理計画を改訂した。計画には、高標高域に生息するシカをごく低密度に誘導するため管理捕獲をさらに強化することになった。中標高域では、間伐などの森林管理を拡大し下層植生を早期に回復させる事業が加わった。丹沢の周辺にもシカが分布しつつあるため、新たに監視区域を小田原市などの周辺市町に設定し、被害の拡大防止を目標に加えた。またシカ管理と森林整備などの事業を一体的に実施する実験的な地区を3箇所設け、シカ保護管理事業を含む自然再生事業を互いに連携協力して実施することで劣化した自然を短期に再生するプロジェクトを立ち上げた。
さらに、かながわ水源環境保全・再生計画の第二次5カ年実行計画と足並みを揃えて進める第三次保護管理計画では、森林整備とシカ管理を一体的に実施するための事業の連携・強化が合意されている。

おわりに
以上に述べた丹沢のシカをめぐる自然環境問題は、地域における自然環境管理の難しさと、科学的情報に基づく順応的管理の必要性を示す優れた事例である。3度のシカ問題を経て「シカ管理と森林整備の一体化」へと進化してきた神奈川県のシカ保護管理事業を、自然環境豊かな丹沢再生へと確実に結びつけていくには、実施体制の充実に加えて、科学的なモニタリングを基調として常に注意深く変化を観察し必要に応じて対策を見直す、きめ細やかな行政が求められている。

図1 丹沢山地における2001-2002年冬のニホンジカ生息密度
(円柱は冬の生息密度、シェード部分は鳥獣保護区、境界線は市町村界を示す)

写真1  冬に樹皮を食べる丹沢山地のニホンジカ (永田幸志氏撮影)


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